偉大な人であった。安藤百福 - Wikipedia: "安藤 百福(あんどう ももふく、1910年3月5日 - 2007年1月5日)は日本の実業家。商業ベースで成功したインスタントラーメンの開発者。日清食品(株)創業者。
安藤は自邸の庭に建てた小屋でインスタントラーメンの研究を始め、1958年8月25日にチキンラーメンを商品化することに成功した。どんぶりに入れて湯を注ぐだけでおいしく食べられる簡便な食品は、瞬く間に人気商品となった。同年12月、会社の商号を「日清食品株式会社」に変更。会社の事業は順調に拡大した。
2007年1月5日、急性心筋梗塞のため大阪府池田市の市立池田病院で死去。享年98(満96歳没)。2日には幹部社員とゴルフを楽しみ、亡くなる前日の4日には仕事始めで約30分の訓辞を行い社員らを激励、昼休みには社員と餅入りのチキンラーメンを食べたという[2]。彼は、長寿・健康の秘訣は週2回のゴルフと毎日欠かさず食べるチキンラーメンであったと語っていた。
2007年1月9日付の米紙ニューヨークタイムズはその訃報を伝えるとともに[3]、社説で安藤を取り上げ、「ミスターヌードルに感謝」という見出しのもと、即席麺開発の業績により「安藤氏は人類の進歩の殿堂内に不朽の地位を占めた」と絶賛した。同社説では彼が発明した即席麺を、「ホンダのシビックやソニーのウォークマンなどと並ぶ」「あるいはチームで開発したそれらとは違い、個人で開発したという点でさらに偉大な」日本人が行った優れた商品開発であると紹介している[4]。
戒名は「清寿院仁誉百福楽邦居士」。死後、正四位に叙された。"
1958年にチキンラーメンが商品化され即座に爆発的に売れた。口コミで評判が広がったのだ(おいらの場合、近所に住む上田一夫君から「ものすご〜、おいしいで〜」と教えてもらった)。以来、六甲山には飯ごうのかわりにコッヘルを持って登るのが一般的になる。日本全国への普及はすこし時間がかかったようだが、阪神間は先進地域なのである。
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